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2005

Awarded for Encouragement Prize
The 8th Gunma Biennale for Young Artists ’05.

Installation Photo from
The 8th Gunma Biennale for Young Artists ’05
at The Museum of Modern Art, Gunma, Japan in 2005.

 

『足をはかりに』2005年
第8回群馬青年ビエンナーレ`05 奨励賞受賞作品
展示写真:第8回群馬青年ビエンナーレ`05
群馬県立近代美術館(2005年)

『足をはかりに』について
(『第8回群馬青年ビエンナーレ`05』応募資料より)
私は身体障害者です。自分の障害を上手く利用して、何かをするのが嫌いです。例えば、障害者マークのついた駐車場の利用とか、電車やバスで優先席に座るのとか。こうやって私は障害者です、と文頭から始めるコトだって。障害者らしい反抗期なのでしょうか。それとも十代の思春期は、こうやって自分を否定するのがお仕事なのでしょうか。別に、義足や奇形を憎んでいるわけではないですし、劣っているとも思っていないのに、それらを利用し、頼っている、と感じると悔しくて仕方がないのです。ですから、この作品は、自分は障害者ですよ、というようなアピールだけにしたくないです。そんなの当たり前ですけれど。ですが、私の第一印象や、ああ、そんな子いたっけ、と10年後思い出してくれたとしたら、私は『障害者』であり、それは、ものすごく濃い印象なので、どうやっても前に出てしまいます。7割程あるソイツの主張を捨てて、残りの3割を表現する、というのは多分難しいです。それに、何らかの形で、ソレは私の行動や、絵や、生き方に顔をだしてくるのです。ですから、その7割に圧倒されず、3割で上手く飾れれば嬉しいです。今回は、その7割と残りの3割をバランスよく、フルに表現(それが作品、というものなのだろうけれども。分かっていても、そんな作品をつくれたことがありません。)したいです。
足の離断手術を受け、義足になってから、今年で8年目になります。私にとって義足は『足の切断された部分を補うための人口の足』であり、自分の『足』とも、足を守り、装う『靴』ともみた事がありませんでした。ある日、私は靴下を脱ぎ、剥き出しの義足のまま廊下を歩きました。ゴム素材の義足がワックスの効いた廊下に引っかかって、私はもの凄いアクションで転びました。確かに、義足と廊下が擦れて引っかかった感覚がありました。私は義足を通して、廊下を感じることが出来ました。それ以降、私は土の感じも、コンクリートの上の砂埃も感じることが出来ます。義足は私の足になったようです。また、2月27日にバンタンデザイン研究所という専門学校の卒業製作にモデルとして参加をしました。義足のモデルとして、という話に最初は乗る気でなかったのですが、ファッションを追求し、身に付けるものスベテを服飾としてみる生徒さんに非常に感銘を受けました。と、同時に、義足を、装う『靴』としてみることが出来るようになりました。
ピーク時、一ヶ月に1センチのペースで身長が伸び、また、今は日々横幅が広くなっています。そのため合わなくなった足が押入れに転がっています。それらは、8年間私を支え、地を踏ませました。そして、一つの自己表現としてメイクでもなく、洋服でもなく、私を発表し続けました。そんな足を展示することはすごく素敵だと思います。『義足』だけでない物を私は発表します。私は障害者です、といった自動自己申告の役割だけでなく、人体の一部としてや、装飾品としての面をもつ、無限な表現の可能性を持ったものを。眼鏡がそれに似ていますが、義足はそんなに流通しないでしょう。しかし、眼鏡のような感覚になってもいいんじゃないかと思います。  予定では、私は押入れの足すべてに草を描きます。地に着くスベテのものには根があり、そして、『新しく生じ発展しようとする』の意として、芽が伸びていくと思うからです。『歩く、ための義足』、『地に根付く足』、『オシャレ小物』すべて、芽を持っています。それら3つを130号程度のキャンバスに飾りたいと思います。この作品の制作によって、義足を足として、靴として、作品として確立したいです。

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