works

becoming

2006

Installation Photo from
The 58th Nihon Independent Exhibition
at Tokyo Metropolitan Art Museum, Tokyo, Japan in 2006.

『足になる』2006年
展示写真:第58回日本アンデパンダン展
東京都美術館(2006年)

『足になる』について(当時のblogより)
足の離断手術後、意識が戻って、私はギプスに巻かれている足を見ました。でもそれは足じゃなかったのです!
今までに見たことの無い、整った、機械の足だったのです。
だから、左足にはりつく機械の足は、いっくら地についても、転んで打っても、痛く無いんだもの、足じゃないのです。
義足を使用してから10年経ちますが、サイズは23センチのままなのです。なぜならそれは、サイズの規格だからです。
その、整った足は、一体誰の足がモデルなんでしょうか。それとも誰かの理想でしょうか。何を基準に義足をつくるのかというと、それはもちろん想像です。
できたものは虚構です。そして、偽物に、足を夢見て、足以上を欲するのです。やはり足ではありません。
でも不思議です。私は高いところのものを取るとき、ダンボールと、ゴーギャン、村上華岳、土田麦僊、萬鉄五郎、熊谷守一の画集、ジーニアスの英和辞典を積み重ねて、
そこに右足の切断面を乗っけて、一瞬だけヒョイと立つのです。
そして、目当てのものを取るのです。その時、ダンボールと、ゴーギャン、村上華岳、土田麦僊、萬鉄五郎、熊谷守一の画集、ジーニアスの英和辞典は私の足になるのです。
たった一瞬だけ。
なぜでしょう。
私の足は真っ白です。
それは、地面を感じるのに、感じないからです。そして汚れないからです。削れるだけだなのです。長い間、ほおって置けば黴が生えるのです。肉みたいに腐りません。
以上が今回の作品のコンセプトです。そして私は今日も、足が足にならないように、願います。足になってしまったら、つまらないからね。

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